【 第 十三 話 】 



市中の夜回りが終わり、颯 樹は一人自分の部屋に行くべく、廊下を歩いていた。
何人もの隊長格の部屋の前を通り過ぎないといけないので、自然と気配を消して、起こさないようにと、細心の注意を払う。
おのずと忍び足になってしまうのだが・・・。
一番奥の自分の部屋にたどり着くと、ほ・・・っと息を吐き出した。
どうやら自然と息までもつめていたようだ。
襖を開けた瞬間。
薄くらい部屋に、月明かりが入り込む。
ガランとした部屋。
つい先日までは、この部屋を開けると時には眠そうな声で「お疲れ様、颯 樹ちゃん」時には明るい声で「お帰りなさい!颯 樹ちゃん。」出迎えてくれる者がいた。
最初は、慣れない所もあったのだが、毎日、必ずと言うほどやってくれた彼女。
自然とそれが当たり前になっていた。
颯 樹は部屋に入らずに、振り返った。
そう。
何もかもが、自然とそれが当たり前になっている。
更 月 姫が滞在して、ここで暮らしていた間も、彼女がいた事がそれが当たり前で、自然になっていた。
そして、彼女がいなくなった今も。
隊舎内は、何一つ変わることなく、時間は過ぎていく。
まるで最初から彼女がいなかったんじゃないかって思う程、自然と時間は巡る。
いなくなってしまえば、それが当たり前と言うように。
颯 樹は、そのまま縁側に座り込んだ。
空高く昇っている月を見上げた。
「当たり前」と「自然」
それは、何にでも誰にでも言える事で、ここで自分が戦死したとしても「いないことが当たり前に」生活は続く。
それが生きると言う事なのかもしれないが・・・あまりにも当たり前過ぎて、少しみんなに着いていけない所がある。
彼らは彼らなりに消化して、「当たり前の日常」を送っているのだろうとは思う。
だが、颯 樹は更 月 姫にあまりにも近づき過ぎたのかもしれない。
淋しいと思ってしまう、颯 樹の心の変化。
颯 樹は自分の膝を抱えこんで、蹲った。

「一人が当たり前だったのに。」

小さく呟いてみた。
別に答えが欲しかったわけじゃない。
だが、それは意外な所から答えが返って来た。

「颯 樹は一人なんかじゃねぇーよ。」

この口調。
この声。
答えはたった一人。
甲 斐 大 助しかいない。
颯 樹は、裸足のままで縁側を降りると、声のした屋根の方を見上げた。

月明かりを一心に受けた大 助の姿。
いつもは少年のように見えるが、どことなく大人びた感じに見える。
その表情は見えなかったが、何かを手に持っているようだった。

「お疲れサン、颯 樹。一緒にどう?」

颯 樹は、軽々と屋根へ飛び上がると、大 助はフッと口もとを悲しげに上げた。
そして、猫のようだねと笑みを浮かべた。
酒盛りでもしてるのかと思ったのだが・・・そこにあったのは、甘いお菓子ばかり。
傍らにあるのは、きっとお茶だろう。
きっちり二人分。
しかも湯気までたってる所を見ると、颯 樹が部屋に戻るちょっと前に来たのかもしれない。
大 助の脇へと膝を折った。
ふと、違和感を感じて大 助の周りを見てしまった。
周りには沢山のお菓子の山。
お茶。
だが・・・。
肌身離さずに持っていたはずの「アレ」がないのだ。

「大 助君、刀は?」
「刀?ああ、部屋に置いてあるよ。夕涼みしてるのに、刀なんていらないじゃん。何か有っても夜回り警護の連中がいるしさ。…それにオレさ、しばらく隊舎の留守番役を九 条さんに頼み込んだんだ。」

大 助の率いる参番隊は、元々が防衛部隊の為、先陣を切っていく弐番隊の援護が主な仕事になる。
それだけではない。
大きな戦いの時は、本陣を護衛し、隊舎を護衛する役割を持っている。
その大 助がわざわざ、そんな事を九 条に願い出る事、それ事態がおかしい。

「何かあったんですか?」
「別になーんもないよ♪颯 樹も、これ食えよ。市中夜回りで、腹減っただろ?」

ニコニコとしたくったくのない笑み。
この浮かべた笑みに隠された表情を、知らない仲でもない。
颯 樹は、呆れにも似たため息をついた。

「では、質問を変えます。何を考えているんですか?」
「なぁ・・・颯 樹はさ、このまま斬り続けて行く気?九 条さんや大 和さんに言われるがままに。それってさ、自分の意志とは関係なく、ただ斬ってるだけだよね?」

確かに、厳密に言えばそうかもしれない。
だが、命令だし、仕事として割り切って考えていたから、大 助の言わんとしてる事が分からずに首を傾げた。

「その時、颯 樹の意志ってどこにあんの?」
「え。」

意外な事を質問されて、颯 樹は答えに困ってしまった。
人を殺すとき、なるべく頭の中は空にしていた。
自分を出してしまえば、一瞬の隙になると、奥底に仕舞い込んでいたのかもしれない。

「オレは全く人を斬らない訳じゃないけど、颯 樹や甲 賀さんに比べたら、断然に少ないと思う。大 和大将や九 条副将に言われるままに、目の前にいる敵を敵だからって理由一つで殺しちまう。その先に、何があるのかもわからないままにさ。それって、自分の意志なのかなって思っちまったら…なんだか分からなくなっちまって。ハハハ…情けないよな、オレって。てんで餓鬼でさ。」
「いえ。」
「颯 樹は自分の意志?」

颯 樹は俯いてしまった。
その颯 樹を見て、大 助は乾いた笑い声をあげた。

「さっき、甲 賀さんに言われたんだ。」
「何を言われたんですか?」
「色々な人間が、色々な画策して、それが幾重にも交差してて…今、この国事態が混沌とした色をしてるから、何が正しくて、何が間違っているのかすら、わからない。って言ってたんだよ。」

何故、人を斬るのか?
そんな問いを受けるとは思っていなかった。
何故斬るのか。
それが必要だから。そして、颯 樹にとっては九 条の願いだからと、斬ってきた。
九 条の計画に邪魔になる者は、無き者にする。
それが上策だと思っていた。
それが正しいのかと聞かれれば、素直に首を縦に振る事は出来ない。

「それ聞いたらさ、オレも分からねぇなって思って。」
「それで人の部屋の屋根の上で、菓子盛りですか。」

そう言いながら、颯 樹は近くにあったお団子を手にとり口へと放り込んだ。
薄く甘い独特の餅の味が、口腔内に広がった。
ピンと張り詰めていた神経の糸が少しづつほぐれるような感覚になる。
大 助は苦笑しながら、お茶を颯 樹に渡して来た。

「なんか、無償に颯 樹と話しがしたくなって。」
「それは光栄ですけど。明日は早朝番なのに、大丈夫なんですか?」
「ああ、それは平気。今日は、もう寝ないし。多分、部屋に行っても、ぐちゃぐちゃ考えてどうせ眠れないだろうし。」

・・・それは、颯 樹を巻き添えにして、夜明かしをすると言う事だろう。
仕事柄、寝ない事は沢山経験してきている颯 樹だ。
たかが一日くらいは、仕事に支障がでる程ではないが・・・。
休める時には、休みたいと思うのも心情である。
颯 樹は、しばらく大 助の事を見つめてから、肩からさげている愛刀をはずして、足下へと置いた。

「あれ、つきあってくれんの?」
「今の大 助君を一人に出来る程、冷酷ではないです。」

そう言うと、また一口お菓子を口にした。
多分、颯 樹の考えが正しければ。
その内、ここは賑やかになるはずだ。
それまでは、大 助のこの憂い顔に付き合っても良いだろうと思った。

「それじゃ、今日はとことんお話しましょうか、大 助君。」
「うん!なんか悪りぃな、迷惑な事して。」
「迷惑なんて、甲 賀さんにかけられる事にくらべたら、迷惑の内にも入りません。」
「・・・やっぱり、サガさんが言ってた通り、甲 賀さんに対して、随分と溜まってるみてぇだな、颯 樹も。」

も、とはなんだ。も、とは。
颯 樹は、ふと月を見上げた。

「大 助君は、道を見失ってしまったんですか?」
「え?」

大 助の顔をあえて見ずに、颯 樹は月を見上げたまま、問いかけた。
だが、その声はどこまでも穏やかで、別に咎めている訳ではないと、大 助もすぐに分かった。
しばらく黙っていた大 助は、意を決したように、颯 樹の方に身体ごと向き直った。
さすがに颯 樹もそれには驚いて、大 助の事を凝視してしまった。

「道は、ちゃんとある。ここに。」

一つのお菓子を置いた。

「オレはこの道を歩いてるからこそ、ここにいると思ってんだ。」

だが一瞬のうちに、大 助の顔は誇らしい顔から憂い顔へと戻って行った。
颯 樹はコロコロと変わる表情を見つめ、道と定めたお菓子を見つめた。

「みんなも一緒だと思ってたんだ。サガさんも、友さんも、みんなこの道を歩いてるんだって。」
「違いますね。」

颯 樹は冷静に一言告げた。
きっとその言葉は初めてではないのだろう。
大 助は今にも泣きそうな、笑みを浮かべた。

「うん。」

大 助はさらにいくつかのお菓子を並べた。
向いてる方向は一緒。
だが、それぞれが離れている。

「コレが現実なんだよな?」

確認するかのように、颯 樹の事を上目使いで見つめる大 助。
まるで怒られる前の子犬のような、そんな目。
何かに縋るような、そんな顔。
颯 樹は、フッと笑みを浮かべると一つのお菓子を一番最初に置いたお菓子の隣へと置いた。
それを見た瞬間、大 助は弾けたように顔を上げた。

「みな、個人である限り、道は同じではないです。それぞれの道を歩かなければなりません。でも、こうやって、みんな同じ方向を向いているし、それに・・・道は違えども、隣を歩く事は可能です。」
「颯 樹・・・。」

颯 樹はお菓子の配置を換え始めた。
一番上に、二つのお菓子。
その後ろに一つのお菓子。
そして、さらに後ろには、バラバラながらも向いてる方向は同じ。
颯 樹は一つづつ説明していった。

「この前列の二人は、大 和さんと九 条さんです。その後ろは、甲 賀さん。そして、これはみなさんです。」
「2の4の・・・あれ?颯 樹は?颯 樹はどこにいんの?」

あえて自分の分は数に入れなかった颯 樹。
だが、大 助はすぐにそれに気がついた。
そして、自分が一番最初に置いたお菓子の隣に、桜のお菓子を置いた。

「へへへ。颯 樹は、ここだかんな。」
「私はおそらく。」

そう言うと桜のお菓子を持ち上げて、全員分のお菓子の一番最後にしかも背中合わせのように置いた。
大 助はその方向に、眉を潜めた。

「なんで颯 樹だけが、こうなるんだよ。同じなんじゃないの?」
「私は、みなさんの後ろを護りたいんです。みなさんが後ろを気にすることも、振り替える事もなく、前だけをひたすら突き進むように。」
「そんなのダメじゃん。じゃ、オレも。」

そう言うと、大 助は自分としているお菓子を颯 樹のお菓子の隣へと置いた。

「護衛部隊長の甲 斐大 助様が、護衛されたら面目丸つぶれだっての。」

颯 樹は自然と笑みがこみ上げてきた。

「ふふふ、そうですね。では、こうなりますね。」

大 助のお菓子は、前を向かした。

「みんな個人だけど、一人じゃないです。だから、仲間なんです。」

そう言うと颯 樹は、菓子器の中へと全てのお菓子を入れた。
全てがぐちゃぐちゃに盛られるお菓子。
だが、それをジッと見ていた大 助は嬉しそうに顔を綻ばした。

「やっぱ、オレは颯 樹が一番だな!」
「はい?」

意味が分からずに颯 樹は首を傾げた。
そこにふわりと二つの気配を感じた。
ようやく探し当てたのだろう。
颯 樹は、ふと後ろを振り返った。

「おめぇ、何勝手に告ってんだよ、大 助。」
「ゲッ…サガさん!!それに友君まで!」

来たの案の定と言うか、相 模さんと阿 波さんの二人だった。
二人にとって、大 助はかわいい弟分なのだろう。
何かと気に掛けている。
少しでも姿が見えないと、どこにいるのか確認を必ずしているくらいだから。
颯 樹は思惑通りになって、クスリと笑みを浮かべた。

「こんばんは、相 模さん。阿 波さん。」
「よぉ、伊 勢。見回りご苦労さん。」

遠慮なく颯 樹の隣に座るのは相 模。
その隣に少し遠慮がちに座るのは、阿 波だ。
阿 波は颯 樹の顔を見るなり、表情一つ変えずにいたが、声色は心配しているかのような声で問いた。

「颯 樹、お前は夜回りをして来たのだろう?寝なくて大丈夫なのか?」
「みなさんをお待ちしていたんです。それに、きっと。」

ニッコリと笑みを浮かべた颯 樹は、さらに視線を横へとずらす。
それに習うように、全員が颯 樹の視線の先へ集中した。
すると右手と左手の指が数本ずつ。
にょきにょきっと見えたかと思うと・・・

「よっ!っと」

ひょいと上がってきたのは、にっこり笑顔の甲 賀だった。

「みんな何処にもいないと思ったら、こんな所で宴会してるんだね。」

だが、周りあるのはお菓子だけ。
お酒の一つもない。
それに首謀者が誰だかわかったのか、甲 賀はコツンと鞘で大 助の頭を叩いた。

「いってぇな!甲 賀さん!」
「準備が悪すぎ。」

ニコニコ笑顔の甲 賀に対して、本当に痛かったのか、脳天を押さえた大 助は、顔を顰めていた。
そこへ突然、背後から聞こえてはいけない声が聞こえて、全員の行動がぴたっっと止まった。

「なら、これならどうなんだ?」

これまた身軽に屋根の上へと昇って来た人物。
この声の主。
絶対に見つかってはいけない九 条の声だからだ。
全員で、ゆっくりと後ろを振り返った。
だが、そこには着流しを着て、すっかりリラックスモードの九 条が立っていた。
手には酒瓶。
そしていくつかのカップを手に持って。

「珍しいじゃないですか、九 条さんがこんな宴会に参加するなんて。怒るべき立ち場の人間なんじゃないの?」

甲 賀のいつもの嫌味も、九 条は軽く肩を竦めるだけだった。
酒が来た事で、阿 波と相 模は九 条の方へと席を入れ替わった。
そんな二人を見ながら、甲 賀は颯 樹の隣へと腰を降ろした。

「ねぇ、颯 樹ちゃん。」
「はい?」
「ところで、キミの背中は誰が護るの?」

唐突な質問に、颯 樹は先程までの話しを聞かれたと察知した。
一瞬にして顔が赤くなり、大 助の方へと視線を向けた。
大 助はニッコリと笑うと、両手を後頭部で組んだ。

「そんなん決まってんじゃん!オレ達全員が、互いの背中を護り合うんだよ!」
「・・・それって、やっぱり僕も参加?」

心底嫌そうな顔した甲 賀に、大 助は肩を組んだ。

「当ったり前だろ〜。隊長同士、助けあわねぇとさ!みんな同じ志の元、集まってるんだし♪個人プレーが多すぎるんだよ、みんな。」
「その方が動きやすいと思うけど。なんでも結果オーライなんじゃないの?」

あまりにも甲 賀らしい言葉に、颯 樹は軽く吹き出した。

「そこで笑ってる颯 樹ちゃんこそ、どうなのさ。大 助君と同じ意見なの?」
「まぁ、実質上は甲 賀さんの御言葉が最もだと思いますけど。」
「なっ!颯 樹!裏切る気かよ!!!」
「でも、大 助君の考えは嫌いじゃないです。」
「なんだよそれー!!!!」

大 助が立ち上がって抗議する。
それを見て、九 条は一瞬眉間に皺が寄った。

「てめぇら、世間様は寝てる時間だ。あんまり大声出すんじゃねぇよ。」
「酒飲んでる九 条さんに言われたくないと思わない?颯 樹ちゃん。」

だから、なんで自分に振ってくるのか・・・。
颯 樹は甲 賀を恨めしそうに見つめてから、軽く九 条へと頭を下げた。

「颯 樹が気にする事ねぇよ。」

九 条の言葉に、颯 樹はフワリと笑みを浮かべた。
それは嬉しそうな、暖かな笑み。
まるで月の妖精が降臨したかのような、そんな綺麗な笑み。
全員が颯 樹の笑みを見て、身体が硬直してしまった。
ある者は、酒を零し。
ある者は、顔を真っ赤にし。
ある者は、口を開けたまま。

「と、ともかくだ。大 和さんに気付かれねぇように、静かにしろよ。」
「「「「は〜い」」」」

全員からなんとも良い子のお返事。
颯 樹は大 助の事を見た。

「大 助君。」
「ん?」
「こうやって自然と集まるのが、仲間の証ですよ。本当に個々であれば、こんな風に集まらないですよ。本当に我関せずの人間は、ここにはいないって事です。ね?甲 賀さん。」

先程の仕返しとばかりに颯 樹は甲 賀に話しを振った。
大 助は少しだけ身構えたように甲 賀の事を見た。
どうやら、今日の悩みの原因は甲 賀が作ったようだと颯 樹は悟った。
意地悪や嫌味を言う相手が違うだろうに。
颯 樹は、軽くため息を零した。

「ま、たまにはこんなのもいいんじゃない?なんだかんだ皆ってお祭り好きだよね。」
「オレ、すっげぇ不思議なのは、なんで甲 賀さんがここにいるのかって事なんだけど。早々に寝てそうな気がした。」

大 助の言葉に、甲 賀はふと視線を逸らした。
抱き込んでいる刀に少しだけ力を込める。

「少なからず、今まであった者が亡くなったんだから、それなりに時間が狂うんだよね。物足りないって言うか。」
「答えになってねぇし。」

甲 賀は意味の深い笑みを浮かべた。
颯 樹には分かるだろうと言う意味も込めて。
颯 樹は再び月を仰ぎ見た。
そんな視界を阻むように、甲 賀は刀を颯 樹と月の間に突き出した。
とっさに身を引いた颯 樹。
ゆっくりと刀の持ち主へと視線を向けた。

「どう言うおつもり・・・」

最後まで言葉を言おうとして、言葉を飲み込んでしまった。
甲 賀の刀は、封印紐がほどこされたままになっている。
あの日、非業の最期を迎えた、更 月 姫の最後の悪戯。

「なぁなぁ、甲 賀さんの刀って、それじゃ抜けないんだろう?どーすんの?」
「さぁてね。どうしようかな・・・。」

颯 樹が先程まで飲んでいたお茶を手にとると、くいっと飲んでしまった。
そして、背を向けたままの状態でポンと阿 波にその湯飲みを投げ渡した。
まるで狙ったかのように、阿 波の手元へポスン…っと湯飲みは収まった。

「阿 波君、僕にも少し。」
「・・・少しだけだぞ。」

九 条から酒を注いで貰うと、阿 波は丁寧に甲 賀の所まで酒の入った湯飲みを手渡した。

「ありがと、阿 波君。」
「颯 樹、明日が辛いようだったら、ここは気にせずに部屋に戻っていいぞ?」

甲 賀に酒を手渡しながらも、ふと颯 樹の方へと視線を向けた。
今日は何もなかったとは言え、夜回りは昼間の見回りよりも神経も使う。
それに颯 樹は、一昨日も夜中に仕事を終えて来たばかりだ。
寝れる時のは、寝かしてやりたいと、阿 波なりの想いがそこにはあった。

「阿 波君、いくらなんでも自分の部屋の真上で、こんな事されてたら眠れないって。眠いんだったら、九 条さんの部屋にでも行った方がいいよ。」
「なんで、俺の部屋なんだよ。」

突然に自分に白羽の矢が立った事で、九 条は飲みかけていた酒の手を止めた。
背中越しに九 条を見つめる甲 賀は、まるで何もかも知ってると言うように、ニヤリと口もとを上げた。

「何か問題でもあるんですか?九 条さん。」
「別にねぇけど・・・俺は何処で休むんだよ。」
「大 和さんの所にでも転がりこめばいいじゃないですか。」
「ああ・・・それもそうだな。」

納得したのか、止めていた手を再開した九 条。
颯 樹はふと大 助と相 模と阿 波での楽しそうな会話を見て、ふと目元を緩めた。
もう大丈夫だろう。
颯 樹は、そっと席を立ち上がった。
それに気付いたのは甲 賀。

「寝るの?颯 樹ちゃん。」
「もう、大 助君は大丈夫そうですから。」
「・・・そうみたいだね。それじゃ、僕もそろそろ寝ようかな。」

クイっと余った酒を口に含むと、颯 樹と共に席を立ち上がった。

「それじゃみなさん。俺達、明日の夜中にも仕事があるから、ここでお暇するね。」
「九 条さん、お部屋お借りしていいんですか?」
「ああ。適当に使っておけ。」
「ありがとうございます。」

颯 樹は深く頭を下げて、甲 賀と共に屋根から一瞬のうちに降りてしまった。
その華麗な一っ飛びで全員が口をポカンを開けた。
まるで猫のようにしなやかな動き。
寸分も狂うことない、甲 賀の巧妙な息の相の良さ。
さすがに二人で仕事をこなす事が多いと言うのを嫌でも納得してしまう。
相 模は、二人がいなくなったのを見計らってから、九 条の事を見つめた。

「なぁ副将さんよ。あんた、いつまで伊 勢の監視を続けるつもりなんだ?伊 勢の奴が間者じゃないなんて、もう結果は見えてんじゃねぇか。」
「そうだよ。ずっと甲 賀君とか阿 波君とかの監視体制なんて、可愛そうだよ。」

二人の言葉に、九 条はチラリと二人に視線を送ってから、酒を飲み干した。
可愛そう・・・ねぇ。
阿 波も同じ事を思っているのかと、視線だけで問いてみたが、阿 波は首を横に振るだけだった。

「それとも、伊 勢を監視しないとならねぇ事情でもあんのか?」
「未だに雪 桜 隊の中にいる間者が存在する。そいつの狙いは、颯 樹だと言う事は分かってる。」
「「な!!」」

事情を知らない相 模と大 助は驚き、言葉を失った。
この間、大量の間者を殺戮したばかりだと言うのに・・・。
まだいると言うのか?
相 模はふと阿 波へと視線を向けた。

「数は?」
「おそらくは、数十名。」
「…そんなにかよ。伊 勢が狙われる理由は、やはり竹 千 隊からこっちに移動した理由と関係あんのか?」

誰もが疑問に思っていた事。
相 模は、九 条の事を黙った見つめていた。
何も話さずに、ただ酒をひたすら口に運ぶ九 条のその姿が、相 模の中で苛立ちを覚えさせた。
仮にも、隊長として雪 桜 隊の幹部なのだ。
その幹部が何も知らないと言うのは、可笑しいと思う。
影でコソコソと阿 波を使って動いている事くらいは知っていたが、雪 桜 隊に忠義を誓っている阿 波が、自分から役目を話す事もない。
だとすれば、直接九 条に聞くしかない。
相 模は九 条から返事が来るのをジッと我慢して待ち続けた。
やがて、大きなため息と共に、九 条は湯飲みをコトン…と静かに置いた。

「竹 千 隊で何を知っちまったのかは、分からねぇ。俺も大 和さんから詳しい事情を聞いてねぇからな。ただ、あいつがこっちに移動して来た時、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。」

静かに語る九 条の言葉に、誰が言葉を失った。
たかが移動一つで、生死の瀬戸際とは・・・余程の失態を犯したか、知りすぎてしまったか。
相 模の表情はどんどん怖さを増していった。

「それって皇太子が絡んでるって事だよな?」
「・・・おそらくな。」

ガン!っと相 模は足下に拳を叩き付けた。
怒りの放出場所が、そこにしかなかった。
阿 波は目を閉じて、黙ってその話しを聞いていた。

「なら、伊 勢に刺客が送られる理由も、それなのか?」
「・・・知っていたのか。」

九 条は苦い表情をして、腕を組んだ。
仕事柄、颯 樹や甲 賀に刺客が仕込まれるのは、珍しい事ではない。
仇討ちだってある。
だが、颯 樹が狙っているのは確実にプロの仕業。
それを知っているのは、甲 賀と九 条だけのはずだったが。
九 条はジッと相 模の事を見つめた。
何故、それを知ったのかと。

「前に一度だけ、見た事があんだよ。20人も相手に、戦っていた、しかも全員殺しのプロだった。半端な剣客なんかじゃなかった。瞬の奴が入らなかったら、どうなっていたかわからなかったな。」
「お前は助太刀しなかったのか?」
「止められたんだよ、瞬の奴に。」

ブスっとした顔で、相 模は顔を逸らした。






 

後書き 〜 言い訳 〜
 
ここまで読んでくださり
心より深くお礼申し上げます。


文章表現・誤字脱字などございましたら
深くお詫び申し上げます。
 

掲載日  2012.02.02
イリュジオン


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