【 第 六 話 】 


ふわりと蝋燭が不規則に揺れる。
九 条は、隊舎内の自分の自室に籠もって、書類作成に追われていた。
静かな時間が流れるその刻限に、空気の流れが微かに変化した。
誰かが来るのだろう。
そう思い、持っていた筆を置いた所で、トントン…と控えめに障子が叩かれた。

「誰だ。」
「僕ですよ、九 条さん。」

そう言いながら入ってきたのは、甲 賀。
ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、入室許可の前に部屋に入って来た。
副将の九 条の部屋に、こんな風に気軽に入れる者は、大 和の他には、この甲 賀くらいしかいないだろう。

「・・・何か用かよ。」

心底嫌そうな九 条な表情。
本来なら、寝てるはずの刻限。
しかも昨日は、弐番隊は宿直だったから、かなり疲れてるはずなのだが・・・。
甲 賀は九 条の正面に、あぐらをかいて座った。

「用がないと来ちゃいけないんですか?」
「そう言う訳じゃねぇが。おめぇがこんな時間に来るから、警戒すんだろうが。」
「いやだなぁ…別に殺しに来たわけじゃないんだから。」

そう言いながら、甲 賀は酒瓶を九 条との間に置いた。

「飲みません?」
「…お前、変な薬でも飲まされてんじゃねぇか?」
「本当に嫌な人ですね、九 条さんって。」

九 条は戸棚に入れてあった湯飲みを二つ取り出すと、甲 賀と自分の前に置いた。
まだ、雪 桜 隊がちゃんとした部隊として認められなかった時代。
義勇軍としていた時は、よくこうやって甲 賀と飲み明かしたものだった。
最近になっては、めっきり減ってしまったが。
トクトクトク…日本酒特有の音が聞こえ、両方共につぎ終えると甲 賀は湯飲みを掲げた。

「雪 桜 隊に。」
「おう。」

二人で共に一気に酒を煽った。
すぐに甲 賀が、九 条の湯飲みに酒をついだ。

「久しぶりだなぁ、おめぇとこうして飲むの。」
「そうですね。最近は、颯 樹ちゃんにべったりでしたから、僕。」
「お前なぁ、いくら監視役とは言っても、節度を持てよ。本来なら、監視なんていらねぇと俺は思ってるんだがな。なかなか、大 和さんが首を縦に振らねぇんだよ。俺にはもう少し、颯 樹に自由をあげてぇんだが。」

九 条は、横にある障子を少しだけ開けた。
フワリと新鮮な空気が部屋の中に侵入してきた。
空気が冴えているせいか、青白い月が美しく空を彩っていた。
甲 賀も同じように視線をむけて、しばらく黙っていた。
いつもなら、嫌味の一つや二つが出る甲 賀にしては、珍しく静かだ。
何を企んでいるんだ?と九 条が警戒するのも、仕方がない事だった。

「九 条さん。」
「なんだ?」
「颯 樹ちゃんを、僕の部隊にくれませんか?」
「また、その話か。その話は前にも断ったはずだ。諦めろ。」

甲 賀はゆっくりと九 条へと視線を戻した。
いつもの笑みは浮かんでなく、真剣な表情に九 条も少しだけ驚いた。
甲 賀が人を殺す事以外で、こんな真剣な表情をした事が見た事なかったからだ。

「そこまでして、颯 樹に拘る理由を話せ。事と次第によっちゃ、考慮くらいはしてやる。」

「考慮ねぇ…」と呟く言葉を零す甲 賀の表情は、明らかに不機嫌を彩っていた。
イライラしている自分を抑える為なのか、甲 賀は一度だけ深く息を吐いた。

「大 和さんが、なんで僕に颯 樹ちゃんの監視をさせたのか、九 条さんは考えた事あります?」
「おめぇ以外、颯 樹の剣に太刀打ちできる奴がいねぇからだろ。」
「僕もずっとそう思っていたんですけどね。」

苦笑する甲 賀。
颯 樹を殺す為に、もしも甲 賀を監視役にしたのであれば。
湖で見た、あんな大 和の表情は出て来なかったはずだ。
あの表情は…誰よりも優しくて
誰よりも慈しみを込めた視線だった。
甲 賀はクィっと酒を仰いだ。

「違うなって最近、思って。」
「違う?」

あの時だって、結局、のらりくらり逃げられて大 和から真実を聞く事が出来なかった。
ただ、あの時颯 樹が持っていた「簪」に意味があるとは思っていたが。
颯 樹を監視する名目で、つねに颯 樹の行動を見て来た。
共に行動する事も多かった。
だからこそ、余計に疑った。
あまりにも熱心な仕事ぶり。
あまりにも一般兵卒に対する、思いやりの深さ。
いや、雪 桜 隊の隊員全員に対する、気配りの旨さ。
人に気に入られようと、計算高く行動してると甲 賀は思っていた。
そんな計算は、必ずボロが出ると。
だが、見ているうちに、これが計算ではないんじゃないかと思うようになっていった。
それでも、疑う事を忘れてはいけないと、いつも心にとめておいた。
いずれは殺す女だから・・・と。
だが、一向に颯 樹に関する事で大 和や九 条から報告を聞かれた事はない。
闇討ちをした時くらいだ。
足で纏いにならなかったか?変な行動は取らなかったか?
それだけの質問。
甲 賀は、湯飲みの中の酒をぼんやりと見つめた。
ふわりと颯 樹の残像がそこに映る。

「大 和さん、もしかして僕に颯 樹ちゃんを守って欲しかったのかな…って。」
「守る?アイツは、男の背に守られるような女じゃねぇだろ。それは大 和さんも重々承知しているはずだ。」
「なんで、承知してるんです?剣客だからですか?」
「・・・。」

九 条は、甲 賀の質問に押し黙ってしまった。
大 和は颯 樹が、誰の背も借りない事を重々承知してる事は事実だ。
それ程までに、颯 樹の剣客としての能力は、飛び抜けて高い。
女にしておくのがもったいないと思う程。
九 条ですら、そう思う事がある。
機転の早さ。
先見の賢さ。
勘の鋭さ。
神は全てを彼女に与えたのではないかと、思う程だった。

「アイツの実力も性格も、おめぇだって理解してるだろうが。」
「確かに、颯 樹ちゃんは男の影に隠れて震えてる、そこらの町娘とは違いますよね。」

颯 樹の残像を打ち消すように、甲 賀は酒を飲み干した。
キツイ酒が、喉をチリチリと焼くように通るのが、わかる。
甲 賀は、ふと月を見上げた。

「だからこそ大 和さんは、彼女の背を守って欲しいと、僕に言ってきたのかなって、最近になって思うようになって。」
「なんでそう思うようになった?」
「そんなの彼女の戦い方を見ていれば、わかりますよ。後先を考えないし、自分の身の事は後回し。確かに、強いかもしれませんが、彼女の後ろはがら空きです。僕は、そんな彼女の背をずっと見て来たんですから。」

ふわりと甲 賀は笑みを浮かべると、九 条の方へと視線を向けた。
いつの間にか、甲 賀の口から「颯 樹ちゃん」から「彼女」へと変化していった。
それが甲 賀の颯 樹に対する、気持ちの変化だと九 条も気付いた。
ようやく、甲 賀も颯 樹を認めようとしているのかもしれない。
九 条は、腕を組んで俯いた。
全てを話すには、まだ早い。
だが、少しだけ話す事が、甲 賀が颯 樹に対する信用に繋がるのなら。
九 条は、何かを決心するように顔を上げた。

「おめぇは、颯 樹が【間者】だと思っていたんじゃねぇのか?」
「最初の頃はね。今は、違いますよ。大 和さんの大事な人なんだろうなって事くらいしか、分かりませんね。」

大 和から、颯 樹と二人で居るところを甲 賀に見られたと聞かされた時から。
いつかはバレるんじゃないかと思っていた九 条。
九 条も、大 和の颯 樹に対する情愛を間近で目にしてきた人間だ。
顔が崩れると言っても過言ではない程の、緩みよう。
どう見ても、大 和にとって颯 樹が特別な存在だと、見れば気付かれてしまう。
隠しようがないと、九 条は腹をくくる事にした。

「颯 樹と大 和さんは、雪 桜 隊になる前からの知り合いだ。」
「そりゃまぁ、大 和さんが拾って来たんだから、そうなりますよね?」
「だから、大 和さんが族長の息子だった頃の知り合いだって言ってんだよ。これ以上は、詮索よせ。おめぇの命にも関わる。」

大 和族の息子だった頃の知り合い。
それは、大 和が武人として道を歩む前と言うこと。
まさか、同じ大 和族出身の子なのだろうか?
甲 賀の脳裏にふとそんな事が過ぎった。

「理由は話しましたよ。僕の隊に颯 樹ちゃんを下さい。」
「そこまで分かってんなら、俺の部隊に置いてる意味も分かってんだろうが。」
「ええ、分かってますよ。でも、彼女に休みの一つも与えていない事に気付かないような隊長に、彼女を守る余裕なんてないと、僕は思いますけどね。」

甲 賀は睨みつけるように、九 条の事を見つめた。
休み一つ与えない?
九 条は片眉をあげて、甲 賀の事を見た。
颯 樹には、ちゃんと定期的に休みを与えている。
それを与えていないと、一番側にいたと言ってる甲 賀が、言うとは信じられなかった。

「おめぇ、颯 樹の側にいたんなら、俺がちゃんと非番を渡してるのも、知ってるだろうが。」
「知ってるからこそ、言ってるんですよ。颯 樹ちゃん、ここ三ヶ月ほど非番貰ってないですよ。まぁ…同じく僕もだけど。」
「!!」

九 条は慌てたように、机の上に置かれた帳簿を調べた。
何枚も何枚も紙をめくる音が室内に響き渡った。
甲 賀は素知らぬ顔で、自分で酒を注いで、口へと持っていった。
月見酒と言うのも、結構乙なものだ。
だが、少し寒い気もする。
甲 賀は静かに障子を閉めた。

パタン…と帳簿を閉じた九 条は、驚愕した表情になった。
どうやら、本当に颯 樹に非番を渡し忘れていたらしい。
異様なまでの忙しさで、自分と颯 樹を同じに考えていた所もあった。
甲 賀はやれやれと、あからさまにため息をついた。

「これって、九 条さんの失態ですよね?」
「…颯 樹とおめぇには、三ヶ月分まとめて非番をやる。ちっ!失敗した…。アイツもそうだが、なんで、おめぇも何も言って来ねぇんだよ!!!」

九 条は一気に酒を仰いだ。
ドンと湯飲みを乱暴に畳の上に置くと、ほんのりと顔が赤くなっていた。
甲 賀はさも当然とばかりに、クスリと笑みを浮かべた。

「そんなの、九 条さんの失態を待っていた僕が、言う訳ないでしょう?」
「なっ…!!てめぇって野郎はっ…!!」
「それにどうやら、僕だけじゃないみたいですよ、この失態を知ってるの。」
「なんだと?」

甲 賀の口もとがニヤリと…意地悪く上がった。

「ともかく颯 樹ちゃんの件、よろしくお願いします。もしなんだったら、颯 樹ちゃんの穴埋めに、ウチの部隊の副長差し上げますよ。」
「は?」
「交換ですよ、副長の交換。僕、颯 樹ちゃんを僕の部隊に入れたら、副長にするつもりだったし。」
「だったし…って、今なってる奴はどうする気だ。」
「そんなの、降格に決まってるじゃないですか。今の上官全員まとめても、颯 樹ちゃん一人の力には遠く及ばないですからね。」
「そんな事したら、奴らが黙ってるはずがねぇだろ。」
「そしたら粛正出来るから、一石二鳥。僕、嫌いなんですよね。ウチの連中。」

甲 賀からの爆弾発言に、九 条は顔を顰めた。
元々人間付き合いが、上手な方ではない甲 賀ではある。
だが、そんな甲 賀でも自分の隊の連中とは上手くやってるように見えていたのだが。
何一つ表情を変えない甲 賀に、九 条もその真意は測りかねていた。

「おめぇの部下だろうが。」
「そうですよ。だから、僕が殺してあげるんじゃないですか。雪 桜 隊一の剣客と言われる僕に最期を絶って貰えるなんて、彼らからした名誉なんじゃないの?そんな事、前に聞いた事あるし。」
「・・・まさか、瞬。おめぇ…。」
「あーあ、僕眠くなっちゃったから、帰ろう。それじゃ、九 条さん、お邪魔様でした。」

ぐぃーっと伸びをしながら、そのまま部屋を後にした甲 賀。
残された酒瓶と湯飲み。
そして・・・なんとも言えない表情の九 条。
ちょっと休憩して、仕事の続きをしようと思っていたが、そんな気分ではなくなってしまった。
九 条は、障子をあけて、廊下へと出た。
そのまま廊下に座り込むと、甲 賀が置いていった酒に手を伸ばした。
ゆっくりと湯飲みに酒を注ぎ足し、月明かりを眩しそうに見上げた。

「十六夜…月・・・か。」






 

後書き 〜 言い訳 〜
 
ここまで読んでくださり
心より深くお礼申し上げます。


文章表現・誤字脱字などございましたら
深くお詫び申し上げます。
 

掲載日  2011.10.13
再掲載 2012.02.02
イリュジオン


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