【 第 五 話 】 |
小走りに走って来た更 月 姫は、九 条の部屋の近くで足を止めると、髪を手櫛で整えて、何度か深呼吸をした。 息を整えて、静かに九 条の部屋の前に膝をついて座った。 「和 臣、私。更です。」 「更?」 九 条は、障子を開けると足下に頭を下げている更 月 姫が視界に入った。 いきなりの訪問。 何かあったのだろうか? 九 条は、すぐ後ろに控えているはずの颯 樹の姿がない事を不思議に思いながらも、その場に片膝を付いた。 「伊 勢の奴は、どうした?お前の護衛だろうが。」 「颯 樹ちゃんは、今食堂でご飯食べてるよ。幸太と大 助と3人で。」 「食堂?」 ふと時計を見れば、なんとも中途半端な時間。 先程まで自分と同じ部屋で仕事をしていた颯 樹。 仕事が一段落したから、少し休憩して来ると言って部屋を出たのは確かだ。 それにしても、相 模と大 助だけならまだしも、颯 樹も一緒になって、こんな時間に食堂に行くのも珍しいと、頭の端で思いながらも、更 月 姫の事を見た。 「瞬がね、和 臣が呼んでるよって教えてくれたの。本当は颯 樹ちゃんに伝言してたはずなのにって、言ってたんだけど…あ、颯 樹ちゃん、きっとちょっと忘れてしまっただけだと思うから、あんまり怒らないであげてね?」 甲 賀の奴が・・・。 九 条は眉間に皺を寄せて部屋の中へと入った。 それは更 月 姫の入室を許可した事になる。 墨の匂いで充満した九 条の部屋。 更 月 姫は、この匂いが大好きだった。 亡くなった父親もよくこうやって部屋で籠もって、仕事をしていた事を思い出す。 「何かご用?」 「あ・・・ああ。」 別に用などない。 甲 賀の口からのでまかせを信じてここまで来たのは更 月 姫だ。 だが。 甲 賀にも、何かあったら「俺が呼んでいる事」にして、更 月 姫をこちらに1人で寄こせと言ったのも事実だ。 「何か」あったとしたら食堂か。 「何か不便な事はないかと思ってな。」 「不便?」 「ああ。お前もここに来て三ヶ月。それなりに入り用な物とかも、かなり制限させちまってるみたいだからな。女はそれなりに入り用な物が多いと、伊…瞬の奴に言われてよ。」 「瞬が?いやだ、瞬ったら。ホントに、気配り上手なんだから。」 甲 賀が気配り上手。 一瞬、九 条は背中に悪寒が走り、身震いした。 あの甲 賀が・・・気配り上手・・・本当にそうだったらどんなに、この雪 桜 隊は平和か。 でも。 『はい、九 条さん。お疲れ様です、そろそろお茶しませんか?』 ニッコリとした笑顔で、甲 賀が差し出す茶。 想像しただけでも気持ちが悪い。 そんな事をされたら、まず茶に何か入ってないかと疑ってしまう。 いや、それ以前に。 本物の甲 賀かと疑う。 うん。 九 条は妙に自分の考えに納得して、1人頷いた。 「不便って事はないけど…ちょっとだけ。」 「なんだ?言ってみろ。」 「告げ口みたいで・・・。」 言いづらそうに頬を赤く染めて、視線を畳へと落とした。 告げ口ねぇ。 九 条は腕を組みながら、更 月 姫の事を見下ろした。 ふと先日阿 波から報告を受けた事を思いだし、その事を口に出した。 「もしかして、お前に伊 勢が折檻してるって話しか?」 「知ってたの!?」 驚きましたと大げさな所作な更 月 姫に、九 条はさらに眉間の皺が深くなった。 「本当の話しなんだな?」 「うん…みんなと話そうとすると…みんなに近づくなって。二度と近づけないように、お仕置きしないといけないって。」 更 月 姫は、やられた事を思い出すかのように、涙をこぼし始めた。 普通の男が見れば、その涙は真珠のように美しく映ったのかもしれない。 儚く泣く、目の前の姫の優雅な所作の所為だろう。 九 条は黙って聞いていた。 「颯 樹ちゃんが、みんなは私のものだからって。」 「・・・それで、紀 伊に口止めしてまで治療に来ていたのか。」 更 月 姫は小さく頷いた。 九 条は机の上に置いてあった、医務官である紀 伊から報告された診察書を手に取った。 ここ一月が、異様な程の回数で治療に来ている。 背中を鞘で殴られたかのような打撲痕。 熱く熱した鉄製の物を押し当てられた火傷痕。 その他には、殴られたような痣。 足には、拷問したかのような、何か圧迫痕。 よくもまぁ、これだけの事をしでかしたものだ。 何度か逃亡も測っていて、その度に何故か竹 千 隊に保護されていたりと。 九 条は深いため息を着いた。 「少しは信じていたんだがな。俺の判断ミスか。」 俯いたままの更 月 姫の表情は、九 条からは見えない。 だからだろう。 更 月 姫は、ほんの刹那、ニヤリ…と口の端を上げた。 「大丈夫。私、耐えることは慣れてるから。だから、颯 樹ちゃんを責めないで?颯 樹ちゃんもちょっと心が不安定だっただけだし。」 「ふむ。なんで伊 勢の心が不安定だと思うんだ?」 「それは・・・。」 まるで言えませんと言うような仕草。 九 条は、診察書を膝脇に置くと再び腕を組んだ。 「颯 樹ちゃん、和 臣の事が好きなの。だから、和 臣と私が仲良くしてるのが、気にくわないんだと思うの。」 「は?」 颯 樹が俺の事を好き? 突拍子もない更 月 姫の言葉に、九 条は言葉を失いかけた。 「確かに、自分の好きな男の人の側に、他の女の人がいれば、嫉妬もする。もしも私が颯 樹ちゃんの立場だったら、きっと同じように嫉妬しちゃうもん。すごく気持ちは分かるの。だから、颯 樹ちゃんの心が不安定だったのは、私のせいなの。」 まるで颯 樹をかばうかのような必死な言葉。 だから、責めないで。 だから、怒らないで。 まるで全てを私は許すからと、芝居がかったかのような言葉の羅列。 九 条は、これ以上聞きたくないと心底思った。 胃の腑がムカムカとして、今すぐにでもそれを発散したいくらいだった。 九 条はチラリと自分の刀に視線を向けた。 だが、袖の中で腕を組んでいた手をぎゅっと握り締めて、その波風をなんとか凌ぐ。 「伊 勢を護衛役から外すか?」 「それは・・・やっぱり同じ女性の方が、安心もするし。色々と話せるし。」 「だが、伊 勢からの折檻があるんだろう?怖くて、安心なんて出来ないんじゃないのか?」 「ううん。颯 樹ちゃんは、それ以外は本当に優しいの。すっごく気が利いて、すっごく心配性で、まるでお姉さんみたいに。私みたいな奴に…本当の家族みたいに暖かくしてくれて・・・。」 穏やかな表情の更 月 姫。 何かを思い出しながら話しているのか、視線は遠くを見ているのだが、はっきりとした口調で話した。 九 条は、しばらく俯いてからポンと更 月 姫の肩を叩いた。 「事情はわかった。何かあったら、すぐに俺の所に駆け込んでこい。仕事中とか気にしなくていい。」 「和 臣。」 「俺がおめぇを守ってやる。」 「ありがと、和 臣。」 更 月 姫は嬉しそうに微笑んだが・・・ぽろりと涙が零れ落ちた。 何故に泣くと九 条が問いても、うれし泣きだと言い張る更 月 姫に、微妙な違和感を覚えた。 泣くほどに嬉しい事なのだろうか? 更 月 姫が部屋から退出して、気配が完全に無くなると、隣の部屋の襖が静かに開いた。 身体を大きく横にして伸びている大 和のだ。 全ての話しを隣の部屋で聞いていた大 和は、クスリと笑いながら九 条の事を見た。 「俺がおめぇを守ってやる・・・おめぇも随分と伊達な事言うじゃねぇか。」 「からかわないでくれ、大 和さん。」 「んま、おめぇにしちゃ〜よく我慢したもんだな?」 「・・・あそこで斬っても、何の解決にはならない。それくらいは俺にもわかってるつもりだ。」 「しかし、颯 樹の奴が、おめぇを好いてたなんざぁ…オイラも初耳だな。」 「寝耳に水だ。」 大 和に視線を合わせられない九 条は、背をむけたまま話した。 九 条の心情が手に取るようにわかると、大 和からクックックックと堪えた笑い声が聞こえた。 さすがにこれには、九 条も後ろを向かざる終えなかった。 「大 和さん、俺はなっ…」 「その診察書。ちょっと見せてみろぃ。」 「診察書?・・・紀 伊が直接記入してるから、偽りはねぇ。本当に身体には痕があった。」 「ふーん・・・背中、太もも、腹。どれも1人じゃ出来ねぇ痕だな?」 チラリと大 和は九 条の事を上目使いで見つめた。 そう。 どの傷も、颯 樹がやったと言われれば、信じてしまいそうな痕ばかりだった。 腕に作った、横一線の刀傷。 背中の鞘の打撲痕。 その太さから見ても、角度から見ても、颯 樹の癖がよく出ている痕だった。 「颯 樹も、色々とやるねぇ。」 「思ってもない事を言わないでくれ。大 和さんが言えば、雪 桜 隊全員が信じる。颯 樹をよく思ってない輩にとっては、絶好の機会をくれてやるようなもんだ。」 「なんでぇ、分かってんじゃねぇか。」 「え?」 大 和は診察書を九 条に投げると、コロンと逆側を向いてしまった。 「大 和さん!」 「颯 樹の癖を知ってる人物が、どれ程いるのかねぇ?」 「それは・・・大 和さん、まさか隊長格を疑っているんじゃ!!」 「そうとは言ってねぇ。ただ、初手を間違えると、取り返しの付かねぇ事になるって話しでぃ。」 それ以上は話す事がないと言うように、大 和は静かに目を閉じた。 九 条は、呆れたようにため息をつくと、大 和の上に着物を掛けた。 静かに襖を閉め、机に向き合った。 目の前には、診察書。 初手を間違えると、取り返しのつかない事になる。 九 条の心の中で、大 和の言葉が響いた。 それと同時に、九 条の頭の中で、警戒音が鳴り続けていた。 何かに用心しろと・・・ 何かに警戒しろと・・・ それはまるで『天つ風』が、耳元で囁いているかのように。 |
後書き 〜 言い訳 〜
ここまで読んでくださり
心より深くお礼申し上げます。
文章表現・誤字脱字などございましたら
深くお詫び申し上げます。
掲載日 2011.10.13
再掲載 2012.02.02
イリュジオン
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