【 第 十七 話 】 |
はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・ 颯 樹は、弾薬庫の近くまで来ると走っていた足を止めた。 追いかけてくる気配もないのを確認すると、ズルズル…と壁に身体を預けて座り込んだ。 道場になんて行かなければよかった。 まだまだ未完成な技がある為、それを完成に近づける為に誰も見ていない夜中の道場で毎日のように練習していたのだが・・・。 まさかあの場に、甲 賀と九 条が来てるとは思っていなかった。 聞いてはいけないと思っていた。 だが、自分の名前が出て。 大 和の名前が出て。 甲 賀のあり得ない程の殺気に、その場から動く事が出来なかった。 そのまま立ち聞きをする形になってしまった。 颯 樹は膝を抱くように、丸くなった。 頭の中がぐちゃぐちゃだ。 甲 賀が自分の事を調べていた。 その事がショックだった。 どこまで知られてしまったのだろうか。 過去は過去として、決して消す事は出来ない。 わかってる。 頭では理解しているのだが、それでも心はそれを拒否している。 出来れば、消してしまいたい多くの過去。 そこには楽しい想い出もある。 それでも、楽しいものよりも、隠して封印してしまたい程の事を経験して来た。 一人の人間として。 せっかく、大 和と再び出会えて・・・やり直せると思っていたのに。 どこまでもつきまとう過去という残照。 どうすればいいのか・・・。 「颯 樹?颯 樹だろ?どうしたんだよ、こんな所で!!!おい!大丈夫か!?しっかりしろよ、颯 樹!」 蹲る颯 樹を見つけたのは、夜警護をしていた大助だった。 たまたま厠へ行こうと道を横切った時、見かけた。 暗がりの中にある黒い物体。 最初は何かと、肝を冷やしたのだが・・・よくよく見れば、人型とわかり、さらに近づいてみれば・・・。 颯 樹が蹲っていた。 大助は驚いて、颯 樹の身体を揺さぶった。 「なんだよ!誰かに虐められたんか?まさか、夜這いでもかけられたのか!?」 「大助君…。」 心底心配している大助の表情に、颯 樹はうっすらと笑みを浮かべた。 その表情が、今まで見て来たどの颯 樹とも当てはまらなくて。 大助は颯 樹の腕を掴むと、立ち上がらせた。 「え、大助君?」 「ちょっと、来いよ。」 そのまま大助に手を引かれるように、裏門へと連れて行かれた。 見回りがてら堀伝いに正面門の様子を見に行くと行った大助が、中から誰かを連れて出て来たので、夜勤の相棒である紀 伊は驚いて目を見開いた。 大助が連れて来たのは、颯 樹だった。 だが、いつもの颯 樹らしくなく・・・どこかボロボロのような気がした。 「伊勢殿?」 「成輝君、悪いんだけど、ちょっと颯 樹の事を見ててくんない?オレ、マジで膀胱が破裂しそう!!」 「それは構わぬが…って、大助!…まったく、相変わらず落ち着きがない。」 あくまでも冷静に頷く紀 伊は、颯 樹に篝火の近くへと誘った。 いくつかの夜食と飲み物が置いてある箱の前に、座らされた颯 樹はそのまま黙ったままだった。 颯 樹の正面に座ると紀 伊は手に持っていた八角棒を大地に置いて、温かい飲み物を颯 樹へと差し出した。 だが、颯 樹はそれに手を伸ばす事はなかった。 颯 樹の右手を掴むと、そこに湯飲みを無理矢理に握らせた。 「お茶を無駄にすると、九 条副将に怒られる。」 「・・・すみません。」 「何かあったのか?・・・と質問されたいのか?」 「え・・・。」 颯 樹は顔を上げて紀 伊の事を見た。 雪桜隊一、背が高く、身体付きも他の者には比べものにはならない程の大きさを誇る。 そんな巨漢でも、雪桜隊の中ではあまり感情を表に出さない方だ。 表情もあまり動く事はない。 その点では、阿波も似た所があるのだが、紀 伊の方が阿波よりも穏やかな部類に入る。 無表情に近いからこそ、何となく安堵感もある。 特に颯 樹のような仕事をしている者にとっては・・・。 「いいえ。」 「ならば聞かぬ。落ち着かれたら早々に自室に戻る事をお勧めする。こんな所をもしも九 条副将に見られでもしたら、それこそ懲罰され、自分としては良い迷惑になる。」 「すみません。」 「・・・先程から貴方はそればかりだ。聞いて欲しいなら、素直にそう言えばいい。」 紀 伊は、しばらく颯 樹の事を見ていたが、話す気配を察知すると、座っていた木の箱から腰をあげた。 そして、門の前の定位置へと八角棒を握り締めて立った。 颯 樹は、いくらでもこの場から立ち去れると言うのに、足が動かなかった。 雪桜隊には沢山の隊士がいるが、紀 伊の独特な空気は、本当に一緒にて心地よささえ、感じてしまう。 颯 樹はお茶を飲み終わるまでは…と自分に言い訳をして、黙って篝火を見つめながら、お茶を小さく口にした。 紀 伊は本当に聞く気がないらしく、まるで颯 樹がいないかのように、立っている。 完全に視界に入っていないかのような。 「過去、消せればいいのに。」 颯 樹の呟き。 注意していないと聞き取れないくらいの声。 だが、幸いここにはうるさい大助はいない。 紀 伊に届くには十分の距離だった。 紀 伊はチラリと颯 樹の事を見た。 「それは無理な相談だ。」 「紀 伊さんは、ご自分の過去を誇れますか?私は、誇れるような過去を持っていません。」 「誰しも、そんな大層な過去など持っておらんだろうな。」 「え?」 颯 樹が顔を上げると、紀 伊と視線があった。 相変わらず紀 伊の表情は一ミリとも動いていなかったが、まっすぐに見つめる視線は、何ものも貫くような視線だった。 「誰かに襲われたのか?」 「え?」 「先程、大助が騒いでいただろう?」 「聞こえて…」 「安心しろ。聞こえても、この裏門に警護してる自分くらいなものだ。」 紀 伊は、それ以降、口を閉じて黙って颯 樹を見つめた。 その真意を確かめるかのように。 颯 樹は、顔を横に振った。 それを見た紀 伊は幾分か表情が柔らかくなった。 「何を悩んでいるのか知らないが、過去などすでに終わった出来事。見つめていても、結果が出てしまったものは、変わる事は決してない。ならば、変わる可能性がある現在と未来を見据えて生きた方が余程いい。」 「でも、過去は必ずついてきます。」 「過去があるから、今の貴方がいる。その過去が、どんなに人に言えないような過去であったとしても、貴方が精一杯歩んだ来た道だ。誰がそれをバカに出来るものか。バカに出来るのは、唯一歩んで来た自分のみだ。人は誰しも、自分をバカに出来ても、人をバカにする権利はない。人をバカにする事は、その人の過去を生きた証を踏みにじる行為になる。」 紀 伊の言葉に颯 樹は、驚いたように固まってしまった。 本当に紀 伊の言う通りだ。 人は、他人をバカにすることは出来ない。 もしもバカに出来るのであれば、自分の道を見る事が、振り返る事が出来る自分のみだ。 人は、紀 伊を冷徹だと言う。 だが、颯 樹はそう思った事はない。 特に仲が良いと言う訳でもないのだが。 それでも、紀 伊と言う存在は、隊舎内での医務局長と言う立場もあるからかもしれないが、何かと頼っている所がある。 紀 伊にだけは、颯 樹も九 条や大 和に言えない、胸の内をさらけ出す事も出来る。 それは一重に『守秘義務』と言う名文で、九 条にも大 和にも話しをあげない事が多々ある事だ。 隊に対して、関係のない事は、紀 伊の心内に止めておいてくれる。 颯 樹も幾度となく世話になったことだろうか。 颯 樹は、心に巣喰う闇に捕らわれそうになっていた。 だが、今の気分はどうだろうか。 そんな颯 樹の表情を見て、紀 伊は警備に戻る気なのか、前を向いた。 もう、相談の時間は終わりと言う事なのだろうか。 颯 樹はニッコリと笑みを浮かべた。 「紀 伊さんには、かなわないです。」 「別に自分は、意見を言ったまで。それを貴方に強制するつもりはない。」 つまりは自分の道は自分で切り開けと。 周りの意見を聞き取りながらも、前に進むのは自分だと、紀 伊は言っている。 颯 樹は、心の中が温かくなって湯飲みを握り絞めた。 「紀 伊さん、私がどんな過去を歩んで来ていたか…気になりますか?」 「気にして欲しいのなら、するが?」 「いえ。」 紀 伊の言葉に颯 樹は苦笑を零した。 しばらく颯 樹の顔を眺めていた紀 伊は、深いため息と共に、颯 樹の前に立った。 自然と颯 樹は紀 伊を見上げる形となった。 見下ろしていた紀 伊が急に膝を折って、颯 樹と同じ高さの視線になった。 「誰ぞに聞かれたくない事を聞かれたのだな?」 紀 伊の確信めいた言葉に、颯 樹は頷くしかなかった。 それを見て、今度は呆れにも似たため息を零した。 「人の過去に踏み込むなと、忠告はしたのだが…自分の忠告が足らなかったのかもしれないな。」 「え?」 「甲 賀殿だろう?貴方の過去を知ろうとしていた。だが、誤解はしてやるな。」 紀 伊の真剣な眼差しから、颯 樹を目を離す事が出来なかった。 紀 伊は決して嘘はつかない。 だからこそ、その言葉が素直に心に落ちて来た。 「でも…なんで…。」 「遊び半分で、人の過去を抉るような真似をする御仁と、貴方は甲 賀殿の事をそう評価しているのか?」 首を横に振った。 甲 賀がそんな事をする事はない。 子供らしい悪戯には何度も遭遇したし、嫌味もかなり言われて来た。 たまには厳しい一言を言われた事もある。 でも、それは全て甲 賀ならではの心配だったり、忠告だったりする。 それを理解出来る程、甲 賀とは多くの時間を共有している。 だからこそ、自分の過去を調べたと言う甲 賀が信じられなかった。 裏切られたような、そんな気持ちだった。 信用して貰ってるとは思っていない。 だが、ほんの一欠片でも仲間と思ってくれていると思っていた。 自分が信じなければ、人は信じてくれない。 大 和が何度となく颯 樹に説き伏せて来た言葉だった。 颯 樹は自分の胸を押さえた。 「何故かわからないんです。でも、とても悲しいんです。」 「確信は持てぬが、甲 賀殿は何も調べてはいないと思う。おそらくは、誘導尋問のようなものだったのだろう。」 「でも、」 「では、貴方の過去を何か一つでもあげたか?それに関する話題をしたか?」 よくよく考えて見れば、甲 賀の口から颯 樹の過去について、詳しい事は何も語られていない。 ただ「なんで、隠すのか?」と九 条に問いていただけだ。 それに気付いた颯 樹は、目を見開いて紀 伊の事を見つめた。 「紀 伊さん、私…。」 「誤解とはそうして生ずるものだ。甲 賀殿は、勘が鋭いと言われるが、勘が鋭い訳ではない。よく情勢を見極め、よく学ばれている。その経験と高い知性が彼を動かしている原動力になっている。だが、皆はそれを知ろうとしない。貴方も同じだ。生まれ落ちた時から、剣客として優れていた訳ではないはず。」 「・・・はい。」 「その努力に、他人は目を向けようとしない。欲と言う感情が、本来見なければならぬ所を見ず、願望や憧れ、焦燥や嫉妬の念で、その者の結果しか見ようとしない。だから、貴方も甲 賀殿も「天剣」等と言う『戯れ言』を言われるのだ。」 そう言うと、紀 伊は颯 樹の手をとった。 手の平を返してみれば、そこには無数の剣の練習の時で出来た豆の数々。 潰れては治り、治っては潰れ…繰り返しで、気がつけば女性のような柔らかな手ではなく、男と同じくごつい手になっていた。 颯 樹は恥ずかしそうに、手を引こうとしたが、紀 伊はそれを許さなかった。 颯 樹によく見えるように、その手を颯 樹の視線と同じ高さに掲げた。 「コレが、貴方の「天剣」であるが由縁。だが、その手を何人の者が見たか?」 颯 樹は以前に大 和に言われた事を思いだした。 大 和は、自分の手は綺麗だと言ってくれた。 努力の証の手だと。 それと同じ事を、紀 伊は言ってくれたのだ。 颯 樹の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 「!!」 「あれ…おかしいな。」 颯 樹は、何度も目をこすり、零れ落ちてくる涙を拭った。 「なんで…濡れちゃうんだろ。すみません、紀 伊さん。」 「いや、構わぬ。自分は、見てはおらぬ。」 それだけ言うと、紀 伊は立ち上がり颯 樹に背を向けた。 紀 伊の心使いに感謝しながらも、颯 樹は溢れ出て来る涙を止めようとしたその時だった。 怒鳴り声が聞こえて来た。 「お前、それどう言う意味だよ!!!!」 二人は、あまり大声に驚いて声のした方へと視線を向けた。 隊舎の中から聞こえるその声は、大助の声そのものだったからだ。 |
後書き 〜 言い訳 〜
ここまで読んでくださり
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掲載日 2012.02.06
イリュジオン
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