【 第 二 話 】 


戦いは終わりを告げて、朱の部族の勝ち鬨が大地を揺らした。
無数の死体の山。
颯 樹は、それを器用によけながら蒼の部族の本陣へと足を踏み入れた。
逃げ惑った後がある。
別に追うつもりはなかった。
部族長を抑えない限り、何度でも戦乱は繰り返される。
それはつまり、今生きながらえたとしても、次の戦乱で息の根を止められる。
その自信が颯 樹にはあったからである。
ただ・・・
誰もいないはずの陣なのに、人の気配を感じた。
大きな天幕から少し離れた所にある、格子に囲まれた天幕。
おそらく簡易的な牢屋の役目なのだろうが・・・。
そこから人の気配を感じて、颯 樹は鍵を刀でたやすく真っ二つにすると中へと足を踏み入れた。
そこには、一人の女性。
着ている服から、かなりの高貴な少女なのだろう。
恐怖で、天幕の端により目に涙をためて颯 樹の事を見つめていた。
手足には枷がはめられており、確実に慰み者として連れて来られたのは、明白だった。
颯 樹は、膝をつくと少女の前で深く礼を取った。

「私は雪 桜 隊の壱番隊副長の伊 勢 颯 樹と申します。失礼ですが、ご尊名を。」
「・・・わ・・・私は・・・嘩族長の娘。名前は、
更 月(さらづき)・・・と申します。」

嘩部族。
蒼の部族が、分捕った領土の元領主。
颯 樹は更 月 姫の両手足についた枷を、刀で絶ち切った。
あまりにも静かな刀に、斬られたことすら気付かない程。
更 月 姫は、恐怖で目を閉じたが、その瞬間に手足に感じていた重みが消えた事に気付いた。
ゆっくりと目を見開くと、颯 樹は穏やかな笑みを浮かべていた。

「怖い思いをなされたでしょう?もう、大丈夫ですよ。」

颯 樹の言葉に、更 月 姫から安堵の涙が流れた。
そして、颯 樹に抱きついて大きな声をあげて泣き出したのである。
怖かっただろうに。
何も知らない無垢な少女に、無理矢理に男を刻み込まれたその恐怖。
同じ女として、許せない。
颯 樹は安心させるように、更 月 姫の頭をポンポンと優しく叩いた。

「よく、がんばりましたね。」

天幕から聞こえる泣き声。
甲 賀に頼まれて、颯 樹を追ってきた伍番隊の隊長の相 模 幸 太。
その泣き声で、全てを悟ったように、天幕には入らなかった。
一応、念のためと誰もいない天幕の全てを確認する。
自害した者。
逃げる際に圧迫死した者。
敗北した陣営ほど、無残なものはない。
しばらく見回りをしていると、颯 樹だけが天幕から出てきた。

「よっ。」
「相 模隊長…!!いつから、いらしてたんですか?」
「瞬に頼まれて、さっき着いた所だ。」
「甲 賀さんに?」

意外な名前に、颯 樹は驚いたように目を見開いた。
首を持って、そのまま大 和さんの所へ嬉しそうに向かって行ったのに。
まるで子供が、親に褒めて欲しいかのように。
甲 賀が報告に行ったのであれば、自分は他の事をしようと陣営に来たのだが・・・。

「それよりも中の子、平気か?」
「あ、はい。連れて帰っても問題ないですか?」
「こんな所に置き去りになんて、できねぇって。んで、誰なんだ?」
「嘩族の姫君。更 月 姫です。」
「・・・姫さんも、運がねぇな。」

その天幕の意味を知る相 模だからこその言葉。
颯 樹は苦笑を浮かべてから、また天幕の中へと入って行った。
素肌を露出している格好。
そのままでは、これから連れて行く場所は、男所帯。
きっと怖がるだろうと、颯 樹は近くにあった布を更 月 姫に巻き付けた。
そして、横抱きに抱き上げたのである。
あまりにも軽い。
ろくな食事も取らせてもらえてなかったのだろう。
天幕から出る時、更 月 姫の顔が隠れるように布を前の方にずらした。
その小さな心使いが、更 月 姫の心を温かく溶かすのに、時間はかからなかった。

「伊 勢、馬はどうする?」
「ご心配なく。」

颯 樹がピューっと口笛を吹くと、遠くから馬鉄の音が聞こえて来た。
遠くから黒馬は走ってくる。
それを見て相 模は驚いたように、黒雲を見つめた。

「こりゃ、驚いた。さすがは、天下名馬と名高い『黒雲』だな。」

忠実に颯 樹の側に近寄ってくる黒雲。
甘えるように頬をすり寄ってくると、颯 樹は優しい目つきになった。
更 月 姫を前の方に乗せ、自分が後ろへと乗る。
それを見た相 模も、自分が乗ってきた馬に跨がった。

「ここには何もねぇな。」
「はい。」

そう言うと、相 模は陣営に火を放った。
燃え上がる炎。
しばらくそれを見つめた二人は、自分達の陣へと戻って行った。




「何、それ。」

陣に戻り、大 和のいる天幕に入った瞬間に甲 賀に掛けられた言葉。
血だらけだった甲 賀は、すでに着替えを済ましていた。
布で巻かれて、颯 樹に横抱きにされて連れてこられた者を、不思議そうに指差した。
颯 樹は、静かに更 月 姫を降ろした。
顔を覗き込むようにして、にこりと笑った。

「もうご安心ください。ここで、あなたに危害を加える人は、一人もいませんから。」

更 月 姫は、コクリと頷いた。
颯 樹はそのままの状態で、目の前の大 和へと頭を下げた。

「壱番隊副長・伊 勢 颯 樹、ただ今戻りました。」
「ねぇ、僕の質問は無視?」
「うるせぇぞ、瞬。少し黙ってろ。」

大 和の横に控えていたのは、九 条。
その隣に甲 賀。
その反対側には、軍師の美 濃が立っていた。
チラリと九 条の顔を見れば、ものすごく不機嫌そうな顔。
それもそうだ。
甲 賀と共に、報告に来てそのまま九 条の元に戻るのが、普通なのだから。
だが、何か胸騒ぎがして陣営の方に行ってしまったのだが・・・。
あとでお小言決定だな・・・颯 樹は、九 条の長い説経を頭に思い浮かべて、小さくため息をついた。

「で、伊 勢。そいつはなんだ。」
「嘩部族の長の姫君。更 月 姫様です。」

颯 樹は、ゆっくりと更 月 姫に被せてあった布をとった。
その端正な顔立ちが、現れると誰もが息を飲んだ。
何も知らない無垢な少女。
そんな印象を与える、色白な少女だった。

「格子天幕にいらっしゃいました所、お連れ致しました。」

わざと『格子天幕』と報告した。
戦場に出た男なら、誰でもが分かるように。
彼女の数奇な運命を、悟らせるように。
颯 樹の報告の瞬間に、全員の眉間に皺が寄った。
すぐに理解したのだろう。
大 和は、なるべく更 月 姫に触れないように少し距離を置いて膝まついた。

「大変な目に合ったなぁ。今日は、ゆっくりとお休むこったな。伊 勢、おめぇが護衛に付け、いいな?」
「はい。」
「オミ、この姫サンに寝床を一つ用意してやりな。」
「ああ、わかった。伊 勢、お前への説経は帰ってからだ。わかったな!?」
「はーい。」

やっぱり。
予想通りの九 条の言葉に、颯 樹は気のない返事をした。
隊長達が休む天幕をあけさせて、颯 樹と更 月 姫が入った。
少し小さめの天幕。
片時も離れない更 月 姫に、颯 樹は着替える事も、お風呂に入る事も出来ずに、そのままずっと更 月 姫によりそっていた。
時折、涙を流す彼女をそっと励ました。
ショックのせいで夕食もとれそうにない彼女を気遣い、颯 樹は彼女が寝付くまでずっと側についていた。
夜も更けた頃。
何回か涙を流し、疲れた更 月 姫。
だが、連れてきた時の表情よりかは幾分、顔色も良くなっていた。
静かに寝息をたてる更 月 姫に、颯 樹は簡易布団をかけ直した。

「?」

天幕の外に、人影が映った。
颯 樹は更 月 姫が起きないように、慎重に身体を動かした。
そっと抜け出せば、そこに立っていた人物を見て目を見開いた。
そこには、甲 賀の姿。
一体、何の用事があると言うのだろうか?
同じ格好ばかりしていたので、身体が硬直してしまった颯 樹は、うーんと背伸びをした。
すでに衣服に付いた血は、変色を起こしていた。

「ん。」

甲 賀から渡されたのは、新しい服。
ありがとう・・・と言いかけて、颯 樹は甲 賀の事を睨んだ。
自分の服だ。
どうやって、これを出したかが問題だ。
別にやましいものは入ってないが、下着とかも一緒に荷物にはある。
いくら気にしないとは言っても、女である以上、そればかりは許せない。
甲 賀は、自分の唇に人差し指をたてると、天幕から少し離れた。
颯 樹も甲 賀の後に続いた。
天幕が視界に入る位置で、二人の足は止まった。

「早く着替えなよ。気持ち悪いでしょ?」
「それはそうですが、これどうやって?」
「ああ。給仕の子に荷物渡して、服だけとってもらった。」

まぁ、そんな所だろうとは思ったが。
甲 賀は、破天荒な性格をしているが、本当に変人と言うわけでもない。
ちゃんと優しさも持っているし、気も遣う。
ただその気の使い方がいまいち、間違えているので、九 条や他の人と喧嘩をすることは多い。
甲 賀は、小さな天幕の入り口を開いた。

「ほら、ここなら誰もいないから、着替えられるから。僕が両方とも見張っててあげるから。」

なんだろう・・・気味が悪いくらいに優しい。
颯 樹は不信そうに甲 賀の事を見つめた。
その心情が分かったのか、甲 賀はあからさまにため息を着くと、面倒臭いと言うように少しだけ目を細めて颯 樹の事を見下ろした。

「何してんの?早くしなよ。見張ってなくて良いって言うんだったら、僕は帰るけど。」
「私はいいんですが、更 月 姫の方はちょっとお願いしたいんですけど。」

別に身体を見られたからと言って、襲ってくるような奴でない事はわかってる。
だが、更 月 姫は別だ。
あれだけの娘。
戦いの終わったばかりの男は、自然と血がたぎる。
忍び込まれたら、以ての外だ。
そんな颯 樹の言葉を聞いて、甲 賀はフッと視線を和らげた。

「颯 樹ちゃんらしいね。」
「?何がですか?」
「いいから、早くしなよ。」

ともかく着替えたいのは本当だ。
颯 樹は甲 賀に軽く頭を下げると中に入って、着替え始めた。
入った途端に、天幕の外から明かりが照らされた。
天幕内は、夜になれば暗い。
着替えやすいように、外のかがり火を近づけてくれたのだろう。
武器庫とは、確かに誰もいない。
本来なら見張りの兵士がいるのだが、それも退けてくれたのだろう。
珍しく、普通の心使いに颯 樹は笑みを浮かべた。

「何、笑ってんの?」

着替え終わったとは言え、突然に天幕の中に入って来る甲 賀。
着替え中だったらどうするつもりなのか。
あまりの行動に颯 樹は絶句した。
そして、文句を言おうと睨みつけたのだが、甲 賀にそんな視線がきくことはない。

「終わってたんだから、別にいいでしょ。」
「なんで終わってるってわかるんですか。」
「影。」

影・・・?
颯 樹が慌てて外に出ると。
天幕の中が影として映り込んでいた。
・・・全部見られた!?
颯 樹は羞恥に顔を赤く染め上げた。

「甲 賀さん!わざとやったんですか!?」
「そんな訳ないでしょ。僕、君の裸に興味ないから安心しなよ。君にも興味ないし。興味ない女の身体見ても、反応しないし。それに、影だし問題ないんじゃない?」

いや、おおありだろう。
颯 樹がもう一声張り上げよとした時だった。
甲 賀の指が、颯 樹の唇を軽く抑えた。
びっくりして甲 賀を見つめると、甲 賀の目の奥に優しさが見え隠れしている。

「怪我は?」
「腕と足に軽い切り傷が数カ所あるだけです。」
「じゃ、消毒しようか。」

更 月 姫の寝ている天幕の前までくると甲 賀は腰を降ろした。
袋の中から、ガチャガチャと取り出す。
あーあ。
きっと医療部から、勝手に拝借してきたな。
見るからに適当に掴んで持って来たと言う感じだった。
颯 樹は、甲 賀の隣に腰を降ろした。

「どこ?」

切り傷のある腕をみせると、甲 賀は顔を顰めた。
そんなに深い傷ではない。
だが、無数の切り傷が今回の戦いの熾烈さを物語っていた。
消毒液を出そうとした手は、一度懐へと入った。
そこから取り出されたのは、二つのおにぎり。
夕食の時に、顔を出さなかったから、自分の分は他の人に食べられてしまったとばかり思っていたのだが。
甲 賀はニッコリと笑みを浮かべた。

「あれだけ動いて、飯抜きは辛いでしょ?」

不格好なおにぎり。
きっと、咄嗟に甲 賀がご飯を固めて造ったのだろう。
颯 樹の殺伐とした心に、フワリと暖かな明かりが灯ったような感覚になった。
颯 樹はそのおにぎりを手に取った。

「悲鳴上げそうになったら、それ食べて。」

そう言って、治療を始める甲 賀。
その手つきがあまりにも優しくて、人を斬った手とは思えない程だった。
おにぎりの中には、なぜか香の物が入っていて驚いたが・・・塩むすびにもならないからと少しでも味をと気遣ってくれた甲 賀の心が嬉しかった。

「ありがとう、甲 賀さん。」
「いいえ、どういたしまして。颯 樹ちゃんも、お疲れ様。」

消毒を終えて、甲 賀は颯 樹の頭を数回撫でた。
まるで親が子を褒めてるように。
だが、その優しい雰囲気もそこまでだった。
甲 賀は、颯 樹の前にあの吹き矢を置いた。

「さて、そろそろ話してもらおうかな、颯 樹ちゃん。」
「・・・何もお話する事はありません。」
「だよね。僕もそう思ったんだけど、このままだと君「間者」って事で処断されちゃうかもよ?僕に。」

ことある毎に狙われる命。
それには理由がある。
だが・・・それは絶対に言えない。
颯 樹は俯いた。

「別に僕はどっちでもいいんだけどね。ただ、濡れ衣着せられるのってさ、気持ち悪いから。」
「甲 賀さんは、私の行動を監視されてますよね。」
「うん。君を斬れるのは僕だけだからね。」

あっさりと肯定する甲 賀。
どうやら隠す気がないらしい。
穏やかな表情とは裏腹な言葉。
これが、甲 賀の怖いと言われる所。

「ところで君さ、なんで九 条さんの隊にずっといるの?」
「は?」

突然に話しがぶっ飛んだ。
甲 賀を相手にして慣れていれば、いつもの事と納得してしまうのだが・・・今回はあまりに唐突過ぎて、質問の意図がわからなかった。
大 和大将から九 条隊長の補佐に着くようにと命じられたから、その隊に所属してるだけだ。
ま、補佐と言っても九 条の目の届く範囲にいさせる口実だろうとは思ってはいたが。
だが、甲 賀はその後とんでもない事を口にした。

「僕さ、随分前から九 条さんに掛け合ってるんだけど、放さないんだよね。なんでだと思う?」
「あの、言ってる意味がわかりかねます。」
「いやだなぁ、君の話だよ。君の。」

私?
颯 樹は本当に分からないように、首を傾げた。
甲 賀が深いため息を一つ落とした。

「本当に君って、鋭いんだか、鈍いんだか、計算高いんだか、分からない子だね。」
「いや、だから・・・主語がないから分からないって言ってるんです。」
「主語?『君を僕の部隊に引き入れよう』って話しに決まってるじゃない。」

は?
唐突な言葉で、颯 樹は目を何度か瞬いてしまった。
斬ろうとしてる人間を、なんで自分の手元に置こうとしてるのか。
本当に理解に苦しむ。

「君と九 条さんって、そう言う関係なの?噂にあるみたいな。」

噂。
九 条隊長の妾だと思われている。
常に側に付き従い、常に従順な颯 樹に対する、下劣な批判だった。
身体で媚び売って獲得した地位だと。
颯 樹の実力を見れば、そんな事は思わないだろうに。
それでも、言わざる終えないのかもしれない。
甲 賀にとっては、負け犬の遠吠えとしか感じないのだが。

「違いますよ。それは甲 賀さんが一番わかってるでしょう?」
「それは分からないよ。男女間なんて、ちょっとした歯車のかみ合わせで、どう転ぶかなんて分からないんだから。歯車が合えば、僕と君が愛し合う事だってあり得ると思うし?」
「絶対にあり得ません。」

キッパリと即答した。
言葉尻を聞くまでもなく。
こんな男と恋仲になんかなったら、命がいくつあっても足らない。
そして、毎日ストレスがたまって仕方ないだろう。
絶対にあり得ない。
他の人は、万に一つあり得るかもしれないが、こいつだけはあり得ない。

「うわぁ、即答?酷いなぁ、君って。これでも一応は、それなりにモテるんだけどなぁ。どう?僕、お買い得だよ?」
「結構です。」
「やっぱり九 条さんの方がいい?」
「だから、違いますって。」
「暗殺は、僕達の仕事なんだよね。」

突然に甲 賀の声色が変わった。
真剣な、どことなく冷たい声。
颯 樹は黙って甲 賀の事を見つめていた。

「僕達、最近仕事が減ったんだよね。まぁ、僕としては大歓迎なんだけど、部下達がそれを納得しなくてね。暴動が起こる寸前なんだよ。どうしよう?」

それは爽やかな笑み。
暴動が起こるなんて、かなりの事だ。
それなのに、この笑みはなんだろうか。

「私に言われても困ります。私は九 条さんに言われた通りに動いてるだけですから。それに、私が動く時は、必ず甲 賀さんも一緒じゃないですか。」

そうだ。
だから仕事が減るなんて事はない。
甲 賀にとっては。
だが、連れて行く部下は厳選された、甲 賀にとって信頼たる者だけの少数精鋭。
部下を数十人持ってる甲 賀にとっては、困った事になっている。
無論、暗殺をする時は極秘事項になるから、下の者は甲 賀達が普通に仕事している事を知らない。
ましてや、颯 樹が一番死ぬ確立が高い、先陣を切っている事も。
九 条の側で、安穏とした生活を送ってるように見えるのである。
確かに、九 条の書類の整理やら身の回りの世話を焼いてる颯 樹の姿は、見ようによっては小姓のようにも見える。
変な噂がいくつ流れても、おかしくない状況ではあった。

「うん、だからね。噂を消す意味でも、部下達の意見を取り入れる意味でも、君を僕の部隊に配属して欲しいんだけどさ。どうしても九 条さんが首を縦に振らないんだよね。君、何か知らない?」
「知りませんよ、九 条さんの考えなんて。」
「でもさ、あの九 条さんがここまで執着するなんて、おかしいし。」
「執着、じゃねぇよ。」

二人で話した所に、もう一人の声が加わった。
甲 賀と颯 樹が声をした方に向けば、そこには眉間にいつもの三割増しに皺を寄せた九 条副将の姿。
颯 樹は慌てて立ち上がって、頭を下げた。
甲 賀は、別段慌てる事もなく、座ったままニッコリと笑みを浮かべた。

「いやだなぁ、九 条さん。僕と颯 樹ちゃんの逢い引きの邪魔しないでくれません?」
「てめぇは、颯 樹が困ってんのわかってて、からかってるだけだろうが。」

そう言いながら、九 条は颯 樹の近くへと歩みを進めると、颯 樹も甲 賀の脇を離れて、九 条の方へと近づいた。

「・・・。」

その自然な颯 樹の行動に、甲 賀は何となく面白くない感情が芽生えた。
颯 樹にとっては直属の上司なのだから、当然と言えば当然の行動なのだが・・・。
なんか面白くない。
九 条はチラリと天幕に視線を移し、颯 樹へと視線を送った。

「姫さんの具合はどうだ?」
「うん、今は落ち着いてる。さっき眠った所よ。」
「そうか。」

甲 賀は、スッ…と目を細めた。
自分に対するしゃべり方と、九 条に対するしゃべり方の差。
別に気にするつもりはないが、こうも目の前で違いを見せつけられると、面白いはずもない。

「何かあったの?」
「いや、見張りをしてやろうかと思ってな。お前も疲れてるんだから、少しは寝た方が良いと思ったんだが…ま、でもその心配はいらなかったみたいだが?」

そう言いながら九 条は、座っている甲 賀へと視線を送った。
それに合わせるように、甲 賀はプイと顔を逸らした。
子供のような仕草に、九 条はひっそりと苦笑を浮かべた。
颯 樹には、この戦いの為に散々こき使ってしまった。
連夜の見張りもそうだったし、偵察もしかり。
隙有れば、暗殺命令も出していたのだから、颯 樹の神経はここ数日間は常に研ぎ澄まされたものだったに違いない。
労いもあって、休ませようとしたのだが・・・。
まさか甲 賀がいるとは思っていなかったので、正直驚いていた。

「瞬、てめぇはこんな所で、何やってんだ?」
「別に、九 条さんに言う必要ないじゃないですか。」

そう言うと甲 賀は立ち上がって、ふらりと闇の中へと消えて行った。
恐らく自分の天幕に戻ったのだろう。
颯 樹は、足下に置かれている救急道具に視線を落とした。
甲 賀の目的が何なのかは、わからない。
でも、怪我を心配してくれたのもまた、事実だ。
颯 樹は足下の道具を集めると、九 条に頭を下げた。

「九 条さん、少しの間だけ、お願いしていい?」
「ああ、それは別に構わねぇが。」
「ありがと!」

九 条に礼を言うが早いか、颯 樹は甲 賀の後を追いかけて行った。
そんな二人の姿を、九 条はそのまま見送った。

「あいつら、随分と仲良いじゃねぇか。」

ポツリと呟いた言葉と共に、九 条は天幕の前に立った。
少しだけ天幕を開ければ、この騒ぎだと言うのに寝入っている姫の姿。
よほど疲れているのか、度胸が据わっているのか。
軽くため息を零すと、九 条は天幕を閉めて、警護に当たることにした。



「甲 賀さん!!」

颯 樹の声で、甲 賀は振り返った。
不機嫌そうな彼の顔は、どことなく突き放したような視線を向けてくる。

「何?」
「途中までご一緒してもよろしいですか?」

颯 樹は少しだけ手に持つ道具を上げた。
それを見て、自分が置いて来てしまった荷物だと気付いたが、それを戻しに行く気にはならなかった。
甲 賀は無言で歩き始めた。
甲 賀の一歩後ろを歩く颯 樹。
だが、その一定の距離は保ったまま。
甲 賀は急に立ち止まった。
それに驚いた颯 樹も足を止める。
もちろん、一歩引いた所で。
甲 賀は、前を向いたまま突然、後ろに一歩下がった。
これで颯 樹と同じ位置になる。
颯 樹は意味が分からないように、甲 賀の事を見上げた。

「僕の隣を歩くのは、嫌なの?」

いつも以上に、突っかかってくる甲 賀。
颯 樹は首を横に振った。

「隊長と肩を並べて歩く事は、出来ません。」
九 条さんの隣は歩くくせに。
「はい?」

甲 賀の小さなつぶやきは、颯 樹の耳には入らなかった。
何を言ったのかと、颯 樹は視線だけで甲 賀にもう一度言って欲しいと語ってみるが
甲 賀は、両手を頭の後ろに組んで、プイと顔を逸らした。

「もう仕事は終わってるんだから、隊長とか関係ないし。」
「あー・・・では、隣を失礼します。」

颯 樹の言葉で、甲 賀は機嫌悪そうに髪を掻き上げた。
この仕草をする時の甲 賀は、怒りを抑えている時だ。
何をそんなに怒っているのだろうか?

「甲 賀さん?」
「ねぇ、九 条さんと僕と何が違うって言うのさ?」
「はい?」
「・・・なんでもない。さっさと道具を戻して来たら?僕は疲れたから、もう寝るから。」

それだけ言うと、甲 賀は足早に自分の天幕の中へと消えて行った。
なんだろう・・・機嫌を損ねるような事をしただろうか?
颯 樹は甲 賀の言葉を思い返していた。

『九 条さんと僕と何が違うって言うのさ?』

九 条さんと甲 賀さんの違い。
うーん。
悩みながら歩いていれば、ドンと人とぶつかってしまった。
咄嗟に颯 樹は頭を下げた。

「すみません!」
「なんだ、貴方が持って行ってたのか。」

顔を上げれば陸番隊隊長の紀 伊 成 輝が立っていた。
身体付きもよく、背が高い彼の顔は、それなりに強面になる。
無表情に近い状態で立っていた紀 伊の視線は颯 樹の持つ荷物へと注がれていた。

「え?」
「道具が一つ足らぬので、探していた。」
「あ、それはすみませんでした!」
「貴方が謝る必要はない。恐らく甲 賀殿あたりが無断で持っていたのだろう?貴方が無断で持っていくような事はしないと分かっている。」

紀 伊は両手を出した。
道具を渡せと言う事だろう。
颯 樹は、頭をさげながら紀 伊の手へと道具を手渡した。

「貴方の処置は済んだのか?」
「はい。甲 賀隊長にやって頂きましたので。」
「甲 賀殿が?また、異な事を。」

少し驚いたように、紀 伊は片を上げた。

「まったく…あの人の行動は本当に予測出来ない。何の気まぐれだか。」
「甲 賀隊長はいつもお優しいですよ?この着替えも、動けない私に変わって、甲 賀隊長が持って来て下さったんです。今は、もうご自分の天幕に戻られてますけど。」

少し照れたように微笑み颯 樹。
動けない状態・・・確かに颯 樹には、連れてきた女の面倒を見るようにと言われていたのは知っている。
ならば、今も動けないはずではないのか?
紀 伊が言葉にしようとした時だった。

「今は九 条副将が見て下さっているので、こうしてお返しに上がりました。」
「なるほど、副将が。ならば、早く戻られるがいい。副将も、ここ数日間はほとんど寝ておらぬ故、早く身体を休まれるように、と伝えて頂きたい。」
「数日間寝ていないんですか?」
「当たり前だろう?貴方に過酷な事を頼み、副将がのうのうと眠れる程、あの方の神経は図太くはない。」

九 条さんが寝ていない。
颯 樹は紀 伊に深く頭をさげると、そのまま自分がいた天幕へと戻ろうと足を踏み出したのが・・・クルリとまた紀 伊の方に方向転換して近づいて来た。

「紀 伊さん、一つお伺いしてもいいですか?」
「何か?」
「九 条副将と甲 賀隊長、何が違うと思いますか?」
「貴方の質問の意図としてる所が、分からぬ。」
「そう・・・ですよね。」

颯 樹はガックリと肩を落とすと、今度こそは天幕に向けて走り出そうとした。
だが、紀 伊の声で足を止める事となった。

「違いの意味はよくわかぬが、個々の人間なのだから、違っていて当然。もし、副将と甲 賀隊長が同じ性格、同じ考え方を持つ者としたら、どうなる?」
「お・・・恐ろしいかもしれません。」
「確実に雪 桜 隊は、壊滅。断言出来る。」

それだけ言うと、紀 伊は背を向けた。

か・・・壊滅ですか・・・。

紀 伊が後ろを向いてしまった以上、話せる状態ではない。
颯 樹は、軽く紀 伊の背中に頭をさげると、自分の天幕へと走って行った。
そんな後ろ姿を、紀 伊は振り返って見つめた。
その視線には、若干の優しさが入り交じっていたように、見えなくもなかった。


 

後書き 〜 言い訳 〜
 
ここまで読んでくださり
心より深くお礼申し上げます。


文章表現・誤字脱字などございましたら
深くお詫び申し上げます。
 

掲載日  2011.10.13
再掲載 2012.02.02
イリュジオン


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